大判例

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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)1890号・昭45年(ネ)3021号 判決

一、被控訴人主張のいわゆる休業補償の点について判断するに、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、大正一三年一月二九日僧職の父敬範と母滋の井との間の二女として出生し、旧制高等女学校卒業後長野県庁や長野刑務所に約四年間勤務、ついで英語や編物の修得のため上京し、昭和三一年アメリカ合衆国人ヘンリー・フレメンツ・マーツエンと婚姻をして昭和三二年頃渡米したが、昭和三八年頃、老令の父母からの一目会いたいとの切なる希望をいれて、単身で帰国し、それまで末妹の結婚以来十数年にわたつて夫婦だけで暮らしていた父母の家に身を寄せるに至つたこと、被控訴人は、帰国後、無職で自分自身の収入はなく、父敬範方の家事の手伝をしながら、親きようだいの援助で生活しているうち、本件事故に遭遇したこと、被控訴人は、帰国後、さきに盲腸炎やヘルニヤをわずらい、更に本件事故による負傷をしたりして再度渡米することができないでいるうちに夫との音信が杜絶して、現在では夫と事実上別れたような格好になつていることが認められる。右認定の事実によれば、被控訴人は本件事故当時無職無収入であつたのであるから、狭義における休業補償の問題はあり得ない。何となれば、右にいう休業補償なるものは、原判示のとおり、現に自ら事業を経営し又は他に雇用されて収入を得ていた者が、当該事故による傷害のため、休業又は欠勤を余儀なくされたことによつて、収入を得ることができず又は収入が減少した場合に、その補償を求めることをいうものと解せられるからである。しかし、被控訴人が父敬範方の家事の手伝をしていたことは前認定のとおりであり、主婦ないし家族による家事労働といえどもその経済的利益を評価し得ないものではないのであつて、その家事労働の量なり質なりが家政婦等を使用して処理すべきものと一般に考えられる程度に達しているが如き場合には、家政婦等に対する通例の報酬額を斟酌してその経済的利益を評価して然るべきである。その意味において、主婦ないし家族による家事労働の場合でも逸失利益ないしこれに準ずるものが考えられるわけではあるが、前認定のとおり、被控訴人の父母は末妹の結婚以来十数年もの間夫婦だけで暮らしてその家事を処理して来たのであり、被控訴人は帰国後父敬範方の家事の手伝をしていたというが、被控訴人の入院中被控訴人の代りに家政婦等を使用して家事の処理をさせたという形跡はなく、被控訴人のしていた家事労働の量なり質なりが前叙の如き程度にまで達していたと認めるに足る資料はない。なるほど、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人の入院中、はじめは、当時中学一年生だつた姪が父敬範方の家事の手伝をしてくれていたが、右姪の高校卒業後は父の近くに住んでいる妹夫婦が往き来して世話をしてくれているというが、この点を含めて上叙認定の事実からは、被控訴人のしていた家事労働が父敬範方の家計の上である程度の寄与をしていたであろうことは察せられないではないけれども、それが果してどの程度に達していたものであつたか必ずしも的確には評価し難いので、この点は後掲慰藉料額の算定の際に斟酌するよりほかはない。

二、過失相殺の点について判断するに、控訴人らは、被控訴人は対向車がなかつたのだからバスの追越しを完了し得たはずなのにそうしないで急停車したのであつて、この点において被控訴人には過失があつた、と主張する。なるほど、原審における証人竹前光男の証言並びに原審及び当審における控訴人宮沢芳文本人尋問の結果によれば、被控訴人車は、対向車との関係では、バスの追越しを完了し得ないほどの状態ではなかつたようである。

しかし、そうだとしても、被控訴人車がバスの発進等バスの動静のいかんによつては急停車をせざるを得ないような場合もあるのであるから、控訴人車において被控訴人車の急停車の予測が全くつかなかつたとはいえないのであつて(当審における控訴人宮沢芳文本人尋問の結果中には、右予測が全くつかなかつたとするが如き供述部分があるが、たやすく措信することができない。)、さような予測が全くつかなかつたとするような特段の事情の認められない限り、前車たる被控訴人車の急停車はそのことだけでは過失とならないのである。従つて、控訴人らの右過失相殺の主張は、採用の限りではない。

(石田哲 小林定 関口)

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